2024年8月15日木曜日

8月15日 一般市民戦没者を追悼して 追加

 

 大阪大空襲で父が暮らしていた家は焼け、それまでのアルバムはもちろん何もかも灰燼と化し全てが無くなった。祖父が亡くなったのは父が旧制中学に通っていた頃。大阪大空襲の折は父は出征しており、その為、祖母と父の妹たちである叔母ら女性たちが、紅蓮の火の海の中を逃げ惑い、辛うじて命だけはとりとめた。

今夜のテレ朝10時のニュースで、風船爆弾を取り上げていたが、全都道府県で一般人を狙った空爆については、一言も報道していない。世代が若くなるにつれ、原爆投下だけがことさらに強調され、民間人殺戮の非道があったことは忘れられていく。それは、原爆投下同様に決して風化させてはならないと思う。

よって、下に参考資料として、2カ所ほどリンクしておく。


●国内各都市の戦災の状況 総務省 わかりにくい

https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/daijinkanbou/sensai/situation/state/index.html


図録▽日本各地の空襲被害 とてもわかりやすい・解説あり

https://honkawa2.sakura.ne.jp/5226e.html

解説の中で、山辺昌彦氏(東京大空襲・戦災資料センター主任研究員)による解説文を引用:掲載している。

「米軍など連合国軍による空襲は、日本の軍事施設を破壊するとともに、国民の戦争継続の意欲をくじくことによって日本を降伏させようとの狙いがあった。本土空襲の初期は、飛行機工場が第一目標であり、それができない時は第二目標として産業都市とみなした市街地を空爆した。工場爆撃の巻き添えを含め、民間人に被害が出ており、軍事施設だけでなく民間施設をも狙う無差別爆撃が、すでに始まっていたといえる。

 これが大きく変わるのは、1945年3月10日の東京下町大空襲からである。米国は一年前から、都市の最も燃えやすい人口密集地域を目標に設定し、木造家屋を効果的に焼く油脂焼夷弾を開発し、大型で航続距離の長いB29爆撃機とともに大量生産していた。

 これらがそろった3月に都市を焼き尽くす空襲を始めたのである。単に無差別攻撃というより、民間人を主な標的とした空襲だった。

 当時の国際法では民間人への空爆は禁止されていた。しかし、日本も日中戦争段階で中国の重慶などの都市を空襲し、それを現代の都市は高射砲や航空機で守られているので無防守都市ではなく、無差別攻撃をしてもよい、と正当化していた。米軍も日本の市街地爆撃に際し、そこは小さな軍需工場がある産業都市なので空襲する、などとしていた。

 そして戦争犯罪裁判では、連合国の空襲はもちろん日本の空襲も裁かれなかった。そのことが世界で今でも、盛んに空爆が行われ、誤爆の名のもとに民間人の被害が続いていくことにもつながっている。」